0感覚を付ける!

生まれながらにして目が見えない人が、視覚という新しい感覚を得たらそれはそれは感動でしょう。生まれながらにして5つの感覚を持っている人類が、新しい0感覚を得る感動をお伝えしていきます。

侍の精神性を失った現在の日本

つまらない人生をウキウキの人生に☆
0感覚を付けて、人生リライズしちゃいましょう!

こんにちは、塚田武宏です。

 

8月ということで、2007年に上映された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」のDVDを借りて鑑賞しました。

この映画は、鹿児島の知覧を舞台に、飛び立つ男性側の視点、残される女性側の視点、その両方を描いている作品と感じました。

観る人によって、また観るタイミングによって、感じることは違うと思うのですが、今回私が感じたのは「日本人の精神性の高さ」です。

どこでそれを感じたかと言いますと、伊武雅刀さん演じる大西瀧治郎が、敗戦翌日に自決した場面です。

若き少年兵たちに、万が一にも生きて戻って来れない特攻を命じた責任を取ったのです。


‐責任を取る‐

これが侍ではないでしょうか。

これが武士道ではないでしょうか。

命令をするのであれば、それ相応の責任を取る覚悟を持つ。

私は美しいと感じます。


あれから70余年が経った今、ワイドショーからは連日、トップが責任回避する場面が流れてきます。
(2018年8月9日現在、日大ラグビーの悪質タックル、東京医科大学の不正入試問題、ボクシングの不正判定、など事欠きません。)

あの時の日本人の精神性はどこに消えてしまったのでしょうか?

人の上に立つのであれば、能力が高いだけではなく、人間性・精神性を重んじてもらいたいと思います。

 

ここで、映画のタイトルから一つ考えてみたいと思います。

「俺は、君のためにこそ死ににいく」

これはどういうことでしょうか?

 

実は、昔の日本人は精神とか想いとかを大切にしていて、『死んでも残るものがある』と当たり前に考えていたのではないでしょうか。

そして、自分の命を何に使うのか?

それは、自分の命よりも価値あるものに使う、その思いだったのではないでしょうか。

このタイトルは、俺の命 < 君 が成り立ちます。

俺の命よりも君の方が大事。

私は大和魂が好きなので、この考えで生きていきたいと思っています。

現代ではよく言われる「命よりも大切なものはない」という言葉が、どうも物質的過ぎて素直に「うん」とは言えません。


もちろん命あることは有難いことです。

命が無ければ何もできない、は正しいでしょう

しかし、命のためなら何をしても良い、とは思えないですし、いつかは失う命であればその使い方を考えたいのです。

 

例えば、我が子のためであれば代わりに死ぬことが出来る、と考えているお母さんはたくさんいると思います。

愛するパートナーのためなら自分の命をかけてでも守る、という男性も多いのではないでしょうか。

東日本大震災の時に、自分の命を顧みず、最後まで住民に避難するように呼び掛けて亡くなられた方もいましたが、とても優しくて素晴らしい方だと思います。

現に今、私の中にその方は生きています。

戦前のように、有無を言わせずに、お国のために、という風潮はおかしいと思いますが、各自が「自分の命よりも大切なもの」を持って生きる事、それ自体は素晴らしい事なのではないかと考えます。

それが武士道なのかもしれませんね。


最後になりましたが、私の「命よりも大切なもの」は何かと考えてみたのですが、もし世界中の人が0感覚を付けて新しい平和な人類歴史を歩み始める社会を創れるのであれば、私の命を失うことは惜しくないと感じました。

すなわち、見せかけの平和や愛ではなく、絶対的な平和・真実の愛・本当の自分を実現できることは私一人の命以上に価値ある事だと感じているということです。