タイタニック号で救われた人たちの心には、ぞっとするような思い出が残っている。
その思い出は恐怖の瞬間であるし、僕がイメージする中でも同じく恐怖の瞬間である。
この場合、その人の思い出も、僕のイメージも、その悲劇を味わっている見物人である。
しかし、悲劇の進行そのものの中には、こんな見物人は存在しない。
予期されない知覚、意味の分からない知覚があるだけだ。
感じることは振り返って考えてみることであり、思い出すことである。
たとえば、病人を死ぬまでみとった時、深い悲しみに囚われるのも同じことである。
その時はただぼうっとしていて、瞬間瞬間の知覚や行動にすっかり心が奪われているだけである。