つまらない人生をウキウキの人生に☆
0感覚を付けて、人生リライズしちゃいましょう!
こんにちは、塚田武宏です。
自由に生きたい!と願う人は多いです。
しかし実際は、社会の秩序を保ち、会社の秩序を保ち、家庭の秩序を保つために、我慢に我慢を重ねている人が多いですよね。
なぜ人々は、自由に生きたいと思っていながら自由に生きられないのか、その理由を見ていきましょう。
今回の記事を読み終わったときに、本当に自由に生きるために必要なたった一つのことが理解できていると思います。
自由に生きるためには、まずお金が必要だ、と思う人が多い事でしょう。
次に、いくらお金があっても健康じゃなきゃ意味が無いでしょ、と言う方も多いでしょう。
いくら健康でお金があっても、家庭の事情でほとんど外に出られなければ、それはもう自由ではない、となるでしょう。
では、そもそも自由に生きるとはどういうことでしょうか。
自由とは、読んで字のごとく、「自分が理由」となることです。
それでは、私たちが生きているこの世の中で、「自分が理由」となって選択していることはあるのでしょうか?
例えば、お休みの日に遊園地に行くか水族館に行くかを自分が選んでいる、と思うことでしょう。
しかし、これはすでにある物の中から選択しているだけなのです。
分かりやすい例を挙げますと、車を運転していてT字路にぶつかりました。
右に行くか左に行くか、自分が決めていると思いますよね。
しかし実際は、道を設計した人の思惑通りなのです。
道を設計した人の思惑とは、「ここに来た人には、右か左に行ってもらう」です。
そう考えたら、自分がすべて最初から決めている本当の意味での「自分が理由」とは、この世の中にあるのでしょうか?
さてここから一気に本質的な話に入りますが、この現実世界の中の「一部」に焦点を当てていると、いつまで経っても「自分が理由」にはならないのです。
なぜならば、「有」出発だからです。
何かが「有る」のを前提として選択している限り、その「有」が生まれる「原因」があり、その原因の上で選択していることになるのです。
(文章だけでは伝えるのが難しい世界の話をしています)
すなわち、本当の意味での「自分が理由」になるためには、「無」を基準にする必要があるのです。
自分も自分の見ているこの現実も「無い」。
その基準点(現実世界の外)から、この現実世界の「全体」を観るのです。
その時に初めて、「すべての理由が自分」になって、その時の意志によって切り拓いた現実世界は、本当の意味での「自由」になるのです。
お金があったり、健康であったりすることで、不自由さは少しは解消されるかもしれません。
しかし、不自由を前提にした世界で今より少し自由度を増したい、というレベルではなく、本質的に絶対的な自由、それを得ていただけたらと思います。
その時に、自分を心から愛せ、目の前の人を心から愛せるのです。
ぜひ、この「無い」を基準点にすること、0感覚を付ける事に興味を持っていただけたらと思います。
絶対的な自由を手に入れましょう!